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...日本国民の不安...

 

「これからの日本は平和でしょうか?」

この質問に対して、ほとんどの人は「はい」と即答できないでしょう。

 

「中国や北朝鮮が怖い」

「テロが怖い」

「自分たちの国を自分たちの軍隊で守れないのが怖い」

といった「怖れ」を抱いている人もいます。

そして、そのために

「軍事力を強くしなければいけない」

「アメリカに守ってもらうばかりでなく、日本もアメリカを守らなければいけない」

というのが、最近の政治の流れです。

 

しかしそれが本当に日本の平和を守ることにつながるのでしょうか?

...「」について考えることを忘れていませんか?...

 

実は日本の安全を守るという上記の意見に

大きく欠落している部分があります。

それは、日本国民や諸外国民の「」です。

 

今、政府は「憲法第9条」第2項を削除し、

「集団的自衛権行使」を容認しようとしています。

上記の「怖れ」を打ち消すための動きです。

しかし、これらの動きには「心」の変化から起こる

大きなリスクがあります。

 

...「報復」「敵意」から「テロ」が起こる...

 

その一つは、現在日本政府との関係が微妙な状態にある近隣国や、

アメリカやイスラエルと敵対関係にあるイスラム諸国の

日本に対する警戒感を高めることになるであろうという点です。

 

日本はこれまで、紛争のあるイスラム圏でも

平和を愛する国」として親しまれてきました。

しかし、日本がイスラム圏諸国の多くと関係の良くない

アメリカやイスラエルと軍事面での関係を深めることによって、

日本への評価は一変します。

 

先だってフランスで起こったテロからも明らかなように、

イスラム圏諸国に対する軍事攻撃に加われば、アメリカの同盟国として

テロ攻撃やサイバー攻撃にさらされるリスクを高めることになるのです。

「集団的自衛権」という「アメリカに協力するための軍事行動」

容認することによって、

日本の若者が戦地に赴かねばならなくなるという可能性ももちろん深刻です。

そしてそれ以上に、テロ攻撃やサイバー攻撃のリスクが高まることは、

私たちの身近に差し迫った危機として意識すべきものでしょう。

...憲法第9条の「心」が日本を守ってきた...

 

また、これまで日本は憲法第9条によって

戦争をしない国」と海外に向かって宣言をしていました。

「軍事力を高めないと不安だ」「中国に侵略されたらどうするんだ」という人も

たくさんいますが、戦後70年間にそういった危機があったでしょうか?

世界を見渡しても、これほど長い間、戦争に加担せず、

直接的なテロ攻撃を受けていない先進国は非常に珍しいのです。

 

 

その大きな要因の一つは、

「憲法第9条」が政府に「戦争」へのブレーキをかけていたからです。

「今は中国の侵略が恐ろしい」という人もいます。

しかし現実的に考えてみてください。

日本はアメリカにとっても、アジア戦略の要所。

逆に考えれば、中国がうかつに侵略できるような場所ではないのです。

なぜなら、アメリカを敵に回すという大きなリスクを背負っているからです。

さらに言うならば、もしも万が一中国が侵略するようなことがあるならば、

日本を戦場としたアメリカと中国との戦争となります。

現実的に起こりうる可能性が低いばかりが、もしも起こったならば、

「日本の軍事力を」などと言うレベルのものではないことは

火を見るより明らかです

 

つまり現実的に考えて、日本がすべきことは「軍事力を高める」ことではなく、

戦争を回避するあるいは、紛争となるリスクを回避することです。

そしてさらに加えれば、現代では「武力衝突」に代わって

「テロ」こそが「現代の戦争」であり

「最も恐るべき脅威」であることは誰もが知っています。

つまり、テロが起こらないようにすることが、最大の安全保障です。

 

 

しかし、「憲法第9条」第2項を削除することによって

「日本は戦争ができる国」というようにイメージを変え、

「集団的自衛権行使」を容認して

軍事面でもアメリカに追随する姿勢を明確にすることによって、

逆に「テロの標的」として日本の安全は脅かされることになるのです。

...「力」への依存が「差別」を生む...

 

そして「心」への影響がもう一つ。

日本国民が、「武力」に依存し、「力」を尊重する空気になってゆけば、

当然強者を優先し弱者を切り捨てる社会になってゆきます。

残念ながらその兆候が、政策面には既に現れています。

「高齢者」「障がい者」「生活困窮者」など

「社会的な弱者」へのサポートの削減、東日本大震災被災地への復興支援や

原発事故処理の遅れなどもそれらの例と言って良いでしょう。

 

しかしそれ以上に恐ろしいのは、国民の「心」の変化です。

「武力」に頼る国づくりや「力」を優先する政策は、

「強者」を尊重し、「弱者」を切り捨てることに結びつき、

それとともに国民も「弱者」への偏見を強めることになるということは

世界の歴史を見ても明確です。

太平洋戦争中の日本でも、

戦時下には必ず「障がい者」が相当な差別を受けました。

当時の教育関係者が福祉施設を訪れ、

「こんな子供たちを教育して何になるんだ」

「こんな無駄なことをしているあなたは非国民だ」

などと言い放っていたことは、決して珍しいことではなく、

日常生活でも、「役に立たないもの」と決め付けられ、

当時はご本人はもちろん、ご家族もとても辛い思いをなさっていました。

「障がい者は非国民」という批判はおろかか、

人並みの扱いされもされないことも少なくなかった時代です。

 

今はまだそうした状況にまでなっていませんし、

「そんな時代にはならないだろう」と

タカをくくっていらっしゃる方は多いかもしれません。

しかし、「軍事力」「武力」を尊重する流れ、「強きもの」を求める流れは、

必ずそれに相反する「弱きもの」を軽んずることになるのです。

 

以上が、「憲法第9条」第2項を削除し、

「集団的自衛権行使」を容認することによって私たちが危惧する点です。

...政府による平和への努力...

 

以上の点を踏まえて言えることは、

まず「武力によって日本の平和が守られる」というのは間違いである

ということです。

むしろ大切なのは「対話」と「理解」であり、これが平和への努力なのです。

突き詰めてゆけば、国と国の争いや軋轢は人間同士のケンカと同じ。

互いがファイティングポーズを取っていればいつかはケンカになります。

仮に相手がそっぽを向いていたとしても、こちらが敵意を持たなければ、

いつかは必ず和解できる。それが国民の平和を守ることであり、

「対話」と「理解」は平和を守るために政府がなすべき努力であり責任なのです。

 

 

...国民による平和への努力...

 

しかし今の政治の流れは、これに逆行しているように見えます。

だからこそ今の政治に対して不安を抱いていらっしゃる方は

日本中に数多くいらっしゃいます。

しかし、その不安をなかなか伝えたり口に出したりできずにいるというのが、

ほとんどでしょう。そこで私達なりに、

「どうしたら日本国民のありのままの気持ちを政府に伝えられるだろうか?」

と考えました。

 

まず考えたのは意思表示の方法です。

周りの皆さんの様子を見て感じるのは、

「政治的なもの」をタブーと感じる意識が非常に強いことです。

それは日本社会の抱える大きな問題でもありますし、

投票率の低さにも現れていると思います。

その要因は、「教育」と「社会」や「政治」との乖離など、

学校や家庭での教育の問題もあろうかと思います。

しかしいずれにしても、現代の日本人の大半にとっては、

「デモ」や「シュプレヒコール」人によっては「署名」さえも、

なかなかハードルの高いものに感じてしまうのでしょう。

 

もちろん、「デモ」や「署名」といったものは平和的な行動であり、

市民が社会へ訴え掛けをしてゆく際の方法としてとても大切なものです。

しかし、現代の日本国民の国民性を考えた時に、

+αの方法も必要なのではと考えました。

しかもその活動の中で、国民一人ひとりが知識を得て

学んでゆけるようなものができればと考えました。

そして、「心による平和のつくり方」を学び、伝えて訴えてゆくことこそが、

私たち国民による平和への努力なのです。

そういう想いを抱いた、

特定の政党や特定の宗教のためでもない、

平和を願う「ふつうの」国民である私たち

繋がってできあがったものが、

「心による平和を願うみんなのネットワーク」です。

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