 ひとりの小さな声が膨大な数で集まったら、平和が続くと思いませんか?眠れない3月9日が近づいてきました。
1945年3月10日の東京大空襲の日 焼夷弾の雨の中を逃げ惑いました。
火達磨になって転げまわる人々を助けることもできず、 私は隅田川に架かる新大橋の真ん中で東京が焼け落ちるのを呆然と眺めていました。
いつ夜が明けたのかさえ定かではありませんでしたが、明るくなったころには、橋の両岸の浜町も深川も舐めたように家々が消え失せた焼け野原、すべてのものが一夜にして消え去りました。
きな臭さだけが辺りに漂い、川べりにはたくさんの死体が流れ寄っていました。
死体を山のように積んだ軍のトラックが数台走り去るのを見ました。
自宅があった辺りに佇み、ふと見ると・・・
玄関脇に置いてあったコンクリートの用水桶の中で、近所のオバサンが正座をして両手を合わせて一心にお祈りしています。
でも
用水桶に満たされていた水は既に干上がり、オバサンは息絶えていました。
君が代のメロディーに身体が硬直し、日の丸を見るたびに寒気がしていた私も、オリンピックのおかげで日の丸に拍手できるようになった矢先に・・・
2011/3/11 福島の大惨事
テレビに映った様子はまるで空襲のアノ時とそ |  世界が平和であるように、彼の魂に励まされながら私は後藤 健二 さんについて
世界平和と人々の幸せを願って行動をしていた人であることを今知った。
特に戦禍の子供たちの生活に焦点を絞って伝えようとしていた。
彼は自分の命の危険をもかえりみず、
自分の得意とするジャーナリストとして
平和への思いや心を行動で示していたのです。
積極的に世界平和を願い行動する人の心こそ、
積極的平和主義の生き方であると私は思う。
日本が軍事力に頼って平和を保とうとすることは間違った積極的平和主義だと思う。
世界が平和であるように、彼の魂に励まされながら、共に祈り続けたい。 |  全ての方が笑顔・・・それが平和僕が月一で行っているホームレスの声かけで出会った72歳のお父さん。(撮影、ネット掲載許可済)
僕が声かけする人の多くが生活保護申請を役所でしても水際作戦で追い出されている方です。
辞書だと平和=戦争状態でないこと
と書いてるそうですが
日本だけでも
・上記のようなホームレスの方
・家を追い出されお金がなくヤミ金に借金漬けにされ売春させられている少女
・同じく家を追い出された挙句に不本意に反社会組織に吸収される少年
・虐待を受けた上で自宅監禁され誰にも気づかれない子ども
・誰にも気持ちを打ち明けられないまま誰にも気づかれぬまま亡くなって行く命
その他福祉や行政から見放されてる人
沢山います。
世界でも
貧困に差別
戦地で酷い扱いをされ女性や子ども
などがあります。
僕にとっては戦争を含みこれら全ての方が笑顔になって普通の生活ができる状態
それが平和です。 |
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